天使と僕の美しき日々・5

「僕は天使でした。百年以上この街の移り変わりを見ていました。主な仕事は死にゆく人間を天国に導くことです。あなたと出逢ってあなたを好きになって、人間になりました」

 

マットはじっと、自分のベッドで眠るアダムを見つめていた。

家に連れてきて、アダムにコーヒーをいれてやった。見るとアダムの手の甲にうっすらと血が滲んでいた。アダムはそれを指差した。

「どうしたの。それ」

ああ。とアダムは笑った。

「人間になった時にできた傷だ。痛いや」

 

「幸せそうに笑うんだもんな・・・」

マットは眠っているアダムの髪の毛を優しく撫でた。

 

このまま泊まっていけば?

 

マットの言葉にアダムはこくりと頷いた。そのまま胎児のように体を丸めてマットのベッドで眠ってしまった。ふぅ。とため息ついた。窓の外を見た。夜中の12時を過ぎている。月がきれいだった。もう一度眠るアダムを見つめた。 不思議なもので、心はずっと穏やかで満ち足りていた。冷静に考えてとてつもなく危険なことをしている。一回しか会ったことない人物を招き入れて、家にいれて自分のベッドに寝せている。しかも彼は自分を天使だと言っている・・・・マットは笑った。

「変な人だな・・・」

泣きながら自分のことを好きだと言ってくれたアダムが愛しいと思った。先程からマットの心に満ちているのは、やっと出会えた。という充足感だった。今、起きている異常事態は、その充足感と比べれば微々たるものだった。ふあ。とマットは欠伸して立ち上がった。今日はリビングのソファーで寝よう。

「マット、どこ行くの」

アダムが目を覚まして、こちらを見上げていた。う。と言葉につまるマット。

「俺はあっちで寝るよ。お休み」

「分かった」

アダムは安心したように微笑んで、また眠りに落ちた。マットはリビングのソファに横になると、天井を見上げた。自分の顔が赤面しているのが分かった。ぽつりと呟いた。

「かわいい・・・嘘だろ・・・何だよあれ・・・」

 

次の日、向かい合って朝食のシリアルを食べた。アダムは感激した様子でシリアルをかつかつと懸命に食べていた。

「初めて食べたみたいだね」

マットがそう言って笑うと、うん。とアダムは頷いた。

「初めて食べた。ねぇマット。今日カフェの仕事は休み?」

「あ、うん。店休だよ」

「じゃあ、会ってほしい人がいるんだ。僕より人間歴が長い元天使の人・・・」

「へぇ」

また変なこと言っているな。とマットは思ったが、それに勝る気持ちは昨夜と一緒だった。アダムはマットの手をぎゅ。と握った。どきりとするマット。アダムはマットの目を見つめて言った。

「僕、マットと一緒にいたいから、彼にアドバイスをもらいたいんだ。一緒にいるためなら、何でもするよ」

「アダム・・・」

マットは、アダムの瞳を見た。どこまでも真剣で純粋だった。

 

やっと出会えた、俺だけの人。

 

「・・・ありがとう」

にこりとアダムは笑った。

「じゃあ、シリアル食べたらシャワー浴びて行こう」

マットの言葉に、アダムは朗らかに笑った。

「マットも一緒に浴びてくれる?シャワーは初めてなんだ」

マットはその言葉に、前のめりによろけた。

 

「男か・・・」

スターバックスで、オスカーはアダムを見つめてそう呟いた。その顔は幸せそうだった。

「同性に惹かれるタイプは珍しいな。アダム」

オスカーの言葉に、アダムは一瞬不安そうな顔をした。

「変なのかな。僕」

いやいや。とオスカーは笑った。

「変なことはない。むしろいいことだ。さてハンサム。君の名前は?」

呆気にとられてオスカーとアダムのやり取りを見ていた見ていたマットは、はっ。と我に返った。

「ええと。マットです」

「アダムからなんて聞いてる」

「えーと、元天使で、俺が好きで人間になったって・・・」

オスカーは腕組みをして笑った。

「信じられるか?」

「いや・・・」

よし。とオスカーはコーヒーを飲んでカップを置いた。

「浜辺に行こう。アダム。三人で。それで信じてもらえる」

「わかった」

「えっ。何?浜辺って」

スターバックスを出て、三人は街角立った。ヘイ。とオスカーはマットの腕を軽く掴んだ。

「ハンサムマット。海は好きか?」

「海?まぁ、きれいだと思うよ」

アダムはそれを聞いて笑った。よかった。と幸せそうに呟いた。

「連れていってあげる」

「え?」

マットが呟いた次の瞬間、三人は浜辺にいた。マットは悲鳴をあげた。

「わぁっ!!!!な、なんだこれっ!!!!!!」

アダムは、きれいだな・・・と呟いて、波打ち際に歩いて行ってしまった。一人取り残されマットは、隣に立つオスカーを見た。オスカーはウィンクして笑った。

「向こうを見てくれ」

オスカーが指差す方向には、砂浜があり、黒いコートを着た人間が何十人も立っていた。その中に、マットの白いシャツを着たアダムが佇んでいる。オスカーは笑った。

「この浜辺は、あの黒いコートを着た天使たちが集まる場所だ。地球にはない、天使の場所だ。ここで俺達は海を眺め、太陽が昇る音を聞いた」

マットは辺りを見回した。空の色は薄いパステルブルーとピンクが混ざったような色で、海の色も同じだった。砂浜はゴミ一つ落ちておらず、真っ白な砂浜だった。砂もさらさらだ。

「きれいだな・・・」

マットは茫然とため息をついた。

「俺も昔、ここに立って朝日の昇る音を聞いていた。でも今は人間でいることを選んだ。アダムもそうだ。ハンサムマットが好きで、大好きで人間になったんだ」

マットはアダムの後ろ姿を見つめた。胸に沸き上がるものがあった。愛しさとともに、彼を抱き締めたいと思った。オスカーは言った。

「天使の時ってさ、世界が白黒でしか見えないんだよ。でも人間になると全部色が見えるんだ・・・」

オスカーの言葉に、マットは昨夜のアダムを思い出していた。だからあんなことを言っていたのか。 アダムが振り向いて、マットを見た。笑って手を振ってくる。マットも手を振り返した。

 

「うちで働いてみないか」

元の世界に戻ったとき、オスカーはアダムにそう言った。

「いいの?」

アダムは嬉しそうに言った。ああ。とオスカーは頷いた。

「人を雇いたいなって、エリーと話ししてたんだ。あとはたまにフランシスのベビーシッターも頼みたい」

エリーは妻で、フランシスは娘の名前だろう。マットはそう思って、天使から人間になったオスカーが幸せにやっているのを嬉しく思った。アダムはオスカーの手をとった。

「ありがとう。なんでもするよ」

「じゃあ、明日からさっそく来てくれ」

オスカーと別れた後、マットはアダムと二人だけで歩いて公園に向かった。広い公園では人々が思い思いに過ごして和やかだった。春になろうとしている季節で、暖かい昼下がりだった。

「なんで俺なんだ?」

マットの問いに、アダムは、え。とマットを見た。マットは肩をすくめた。

「ただのしがない人間だぜ。天使選ばれる価値なんかない」

「君はあのカフェで輝いていたよ。とても素敵だと思った。君の側にいたいって、思った・・・」 アダムの顔がだんだん赤くなっていく。マットは笑った。

「こんな俺を選んでくれてありがとう」

マットは、軽くアダムの頬にキスをした。自分でもその行為にびっくりしたけど、胸にあるのは、アダムに対する愛しさだった。

「あ・・・」

アダムは真っ赤になって、呻いた。はは。とマットは笑った。そっとアダムの手を握った。 散歩されている一匹の黒いラブラドール犬が、アダムとマットの前を通り過ぎて行った。

「犬、かわいい」

通りすぎていくラブラドール犬を見つめ、アダムはぽつりと呟いた。

「かわいいな」

マットもぽつりと呟いた。