天使と僕の美しき日々・1

少女は、たった十年の生涯を閉じようとしていた。彼女は今、病院の白いベッドの上で横たわっていた。自力で呼吸できなくなった彼女の口には呼吸器がつけられていた。どんどん心音が弱くなっていく。 母親と父親は、涙を流し彼女にすがりついている。

彼女は生まれてからほとんど病院で過ごしていた。治療ばかりの日々。薬の副作用や、痛みを伴う治療がつらく、泣いている日々が多かった。 そんな中、いつしか彼女の前に一人の男が現れた。彼女しか見えない男は、黒いコートを羽織り、黒いズボンに、黒いシャツを着ていた。 肩までの長い髪の毛は、癖毛でうねっていた。背の高い男は、きれいな黒い目をしていた。彼女と目があうと、にこりと小さく笑った。その笑顔に彼女は、つらさを忘れて微笑み返した。

今、その彼は両親の背後にいる。誰も気付かない。少女だけ。少女だけの存在だった。薄れゆく意識の中、彼女は気付いた。

彼は天使だ。ずっとそばにいてくれた天使。羽もないし、黒い服だけど。彼は天使なのだ。 彼・・・天使は身を乗り出して、少女の耳元で囁いた。

「ゆっくり眠って。よく頑張ったね」

彼女は微笑んだ。目を閉じながら、呼吸器のマスクの中で天使の名前を呟いた。

 

ありがとう。アダム。

 

「死神じゃないよね?」
少女は、アダムと手を繋いでいた。少女は今、自分の魂が抜けた体をアダムと眺めている。医師や看護師たちが厳粛な顔で少女の遺体を眺めている。父親は泣き崩れる母親を抱き締めて、ぼろぼろと涙をこぼしている。アダムは笑った。
「よく言われるけど、違うよ。僕は天使だ」
少女とアダムは手を繋いで病室を出た。廊下には誰もいない。病室にも。少女は不思議に思ったが、すぐに分かった。もう自分は現世を離れているんだ。だから病院の廊下の向こうが、優しい光に満ちているんだ。
「何で黒い服なの?」
「わからない」
「どうして羽根がないの?」
「どうしてだろう」
的を得ないアダムの答えに、少女は笑った。
「変なの」
「ほんとだね」
アダムは笑った。その笑顔に、少女の目から涙がこぼれた。アダムは彼女を抱き上げた。少女はアダムの柔らかで、何も匂いがしない髪の毛の中に顔を埋めた。昔父親にされたみたいだ。アダムは父親より背が高いけど。
「・・・ずっと側にいてくれてありがとう。アダムがいたからつらくなかった」
「よかった。よく頑張ったね」
「好きよ。アダム」
「僕も君が好きだ」
少女とアダムはしばらく抱きあっていた。アダムは少女を床に下ろした。少女は涙をぬぐってアダムを見上げた。わざとらしく口を尖らせて言った。
「みんなに言ってるんでしょ」
アダムはただ、優しく笑っているだけだった。少女の初恋は天使だった。

アダムは屈んで、廊下の先を指差した。
「ここからは一人で行って。大丈夫。何も怖くないよ」
「ありがとう」
少女はゆっくり歩きだす。突然振り向くと、屈んだままのアダムにかけより、唇にキスをした。
「わっ」
驚くアダムに微笑み、少女は光の中に消えていった。

アダムは、手をふって彼女を見送った。自分の唇に触れてぽつりと呟いた。

「人間にキスされてしまった・・・嬉しいな・・・」